ウェンツ瑛士のイケメン画像まとめ・プロフィール

ウェンツ瑛士のイケメン画像

ウェンツ瑛士のイケメン画像まとめ

本名:ウエンツ 瑛士(同じ)
生年月日:1985年10月8日
出生地:日本・東京都三鷹市
身長:170cm
体重:55kg。
血液型:O
職業:俳優、タレント、ミュージシャン
活動期間:1989年〜






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ウエンツ 瑛士(ウエンツ えいじ、英語表記Wentz Eiji)は、日本の俳優、タレント、歌手、ミュージシャンであり、小池徹平とのデュオ「WaT」のメンバー。


イケメン・ウェンツ瑛士の経歴


ドイツ系アメリカ人の父親と日本人の母親のハーフで、瞳の色はヘーゼル(緑・青・薄茶・オレンジ・グレー等)。

乳首がピンク色なことを密かに気にしている。2人兄弟の二男。学校法人武蔵野東学園武蔵野東小学校・中学校、日本大学櫻丘高等学校卒業。

愛称はウエンツ、瑛ちゃんなど。

NHK教育テレビ『天才てれびくん』・『天才てれびくんワイド』1995年度 – 1999年度てれび戦士として特によく知られている。

現在の所属事務所はバーニングプロダクションで、マネージメントはウエンツをバーニングに所属させたエヴァーグリーン・エンタテイメントが業務提携という形で行っている。

1989年 – モデルデビュー(当時4歳)。天使系美少年と呼ばれ、以降雑誌・CMなどで活躍。

1994年 – 劇団四季のミュージカル 『美女と野獣』 のチップ役で役者デビュー(当時9歳)。

1995年 – NHKの子ども番組 『天才てれびくん』にてれび戦士としてレギュラー出演(以降『天才てれびくんワイド』に5年間出演)。

ダンスユニットZOOの全国ツアーにバックダンサーとして同行。『第46回NHK紅白歌合戦』 に森高千里のバックダンサーとして出演。

1996年 – ロックバンドLUNA SEAの「IN SILENCE」のPVに出演。

1998年 – 『第49回NHK紅白歌合戦』 に西田ひかるのバックダンサーとして出演。

2000年 – 5年間にわたりレギュラー出演した『天才てれびくん』を卒業。CM 『森の水だより〜美少年編』 (コカ・コーラ社)に出演し、注目される。芸能界から一時引退。

2001年 – 日本大学櫻丘高等学校入学。芸能界に復帰。

2002年 – NHK大河ドラマ 『利家とまつ』 で森蘭丸役を演じる。この頃からバラエティ番組に進出(当時16歳)。

小池徹平とシンガーソングライター・デュオ(後のWaT)を結成。路上ライブを始める。

2004年 – 日本大学櫻丘高等学校を卒業。シングル 『卒業TIME』 でインディーズCDデビュー(WaT)。

2005年 – TBSの愛の劇場 『正しい恋愛のススメ』 (昼ドラ)でドラマ初主演。

熟女や男性とのラブシーンが話題になり、第47回『ザテレビジョンドラマアカデミー賞 新人俳優賞』を受賞。

シングル 『僕のキモチ』 でユニバーサルミュージックからメジャーデビュー(WaT)。

『第56回NHK紅白歌合戦』 にWaTとして初出場、メジャーデビューから2ヵ月という史上最短での出場となる。

2006年 – フジテレビの『あいのり』、『ポンキッキ』などのメインレギュラーに抜擢。

『2006 バレーボール世界選手権』 オフィシャルサポーターを務める(WaT)。

『第48回日本レコード大賞』 新人賞など、各種賞の受賞。

『第57回NHK紅白歌合戦』 に2年連続出場(WaT)。

2007年 – 初主演映画 『キャプテントキオ』公開。

主演映画 『ゲゲゲの鬼太郎』公開。

シングル『Awaking Emotion 8/5』(映画「ゲゲゲの鬼太郎」主題歌)でソロデビュー。

『第58回NHK紅白歌合戦』に3年連続出場(WaT)。

2008年 – 第31回『日本アカデミー賞』新人俳優賞受賞。

主演映画『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』公開。

『第59回NHK紅白歌合戦』に4年連続出場(WaT)。

2010年 – 初のメッセージエッセイ『できそこないの知』出版。


イケメン・ウェンツ瑛士の性格・キャラクター・エピソード

笑いと喋りが大好きで「笑い」に対して貪欲な姿勢を見せているが、基本的にネガティブ思考で悩みやすく、何事も深く反省してしまう。

デュオを組む小池徹平はウエンツについて「真面目で優しい、たまに何考えているのかわからない」等と語っており、製作者や共演者の多くは、明るく子どものような元気さがある反面、礼儀正しい、真面目、賢いなどストイックな一面を持つと評している。

番組で共演した美輪明宏には「バカのふりしているけど、本当は頭がいい。只者じゃないわ」と言われた。

ネガティブ思考に関するエピソードとして、業界内での友人は一回り以上年上がほとんどだが、一年に二度ほど「(自分が40代だったら20代の若者とは気軽に飲みにいけないから)周囲の友人達は年下の自分といて楽しいのかな…」と本気で悩んでいた、というものがある。

相談を持ちかけた友人から「まっすぐ受け取れ」と言われてようやく自分の考えすぎだったと思えるようになったといい、実際、友人の大泉洋や玉木宏など複数人が「ウエンツとの会話は年の差を感じない」と語っている。

瞳の色はテレビ等では茶色に映ることが多いが、実際はグリーンが強いヘーゼル。

ドラマ時のメイク担当者曰く、光の当たり具合や見る角度によって青や茶など微妙に色が違って見える。

子ども時代はコンプレックスを持っていたが、高校生頃には今はこの目が一番好きだと言えると語っている。

鏡が嫌いで、一人暮らしの自宅でも洗面所以外の鏡を全て捨てている。

また、首の左側にある一文字の傷は幼い頃熱湯を被ってできた火傷の跡である。

しかし、この話をすると母親が悲しそうな顔をするためあまり話したくないという。

小池徹平曰く、本人は無意識だが「奇跡は偶然じゃない」とよく言うとのことで、世界バレーのオフィシャルテーマソング「Ready Go!」にも「奇跡はきっと偶然なんかじゃない」というフレーズを入れている。

本人曰く、「努力したからこそ、奇跡が起きる」「努力しない人に奇跡は起きない、努力しない人にラッキーはない」という信念があり、テレビ番組や連載していたコラムなどでもそのような主旨の話をよくする。

家族はウエンツ以外の全員が英語を話すことができ、母親はECCで優秀賞を受賞したことがある。

兄はECCに通うなどして堪能になり、アメリカの大学へ留学経験もある。

幼い頃から非常に兄弟仲が良い。

父親は叱るときなど感情が高ぶると英語が出るので、そういう時はひたすら「Yes… Yes…」でごまかす。

両親が共働きなため、幼少時は母方の祖父母の家で過ごすことが多かった。

子供と動物が好きで、以前は自宅で犬(オザワくん・雄)と猫(ナナちゃん・雌)を飼っていた(現在は実家に預けていると思われる)。

ナナちゃんは拾い猫で、当時大河ドラマで共演していた松嶋菜々子から名前をとって「ナナ」と名づけた。オザワくんは、お笑い芸人スピードワゴンの小沢一敬に頼まれて引き取ったことから「オザワ」と名づけた。

嫌いな食べ物はホタテ・おでんの昆布・ナタデココ・ちゃんぽん。

辛い物も苦手。好きな食べ物はうどん・米・ナッツ類、ケーキ。チーズケーキ等を自作して食べるのも好き。

うどんに関しては好きが嵩じて讃岐うどんを日帰りで食べに行き、八軒ハシゴしたことがある。

大の紅茶好き、コーヒーはブラック派。好きな色はピンク。好きな酒は泡盛・焼酎。

吉井和哉のファンであり、よく小池徹平と一緒にライブに行っている。

小学5年生の頃からお灸を嗜んでいる。子どもの頃は恥ずかしいのでお菓子に紛れ込ませてお灸を購入していた。

本を読むことが好きで、カバンに入れ持ち歩いている。

自宅には小説などを除く漫画だけで800冊以上の本があり、常に本棚から溢れている。

ドラゴンボールマニアで漫画本やアニメDVDなどをコレクションしており、台詞や設定などの多くを記憶している。

好きな漫画はHUNTER×HUNTER、ジョジョの奇妙な冒険(小沢一敬談)など。またゲーマーでもある。

HUNTER×HUNTERが一年半ぶりに連載を再開した後、10週で再び休載し始めると、これを残念がり「世界一面白いと思っているマンガ」とのコメントをしている。

野球好きで大の埼玉西武ライオンズファンとして有名。

2007年、プロ野球・パシフィック・リーグ開幕戦、グッドウィルドームで行われた「西武vs楽天」で念願の始球式を務めた。

中学生時代から当時の西武球場に足しげく通っており、始球式で西武のユニフォームに記した背番号「230」は当時住んでいた家から球場までの片道電車賃である。

プライベートでの選手との交流も厚く、隣接の西武第2球場で西口文也・涌井秀章・赤田将吾らライオンズの主力選手と練習をしたことがある。

2008年シーズン、西武ドームだけではなく埼玉県営大宮球場や福岡ドームにも足を運んでライオンズの試合を20試合以上観戦し、西武が日本シリーズで優勝した際には祝賀会に招待され参加した。

また、現在でもプロ野球カードをコレクションし続けている。

NBA選手に憧れ小・中・高とバスケットボール部に所属。中学時代には東京都代表選手に選ばれる。

高校では芸能活動と部活動の両立が難しくすぐに辞めなければならなかったが、その後しばらくは地元のクラブチームに入っていた。

また野球のクラブ活動をしていたこともある。冬は友人らとスノーボードに行く。

2006年、世界バレーボールのオフィシャルサポーターを勤めたことがきっかけとなり、以降プライベートでもバレーボールの試合観戦に行っている。


イケメンウェンツ瑛士の少年時代

生まれた時は白に近い金髪で、大人になるにつれて徐々に色素が濃くなった。

子どもの頃は金髪だったこともあり「金髪」「外人」などとからかわれ指を指されたり、西洋的な容姿に対する周囲からの偏見に苦悩し、外見と中身の相違により自身の容姿に強いコンプレックスを抱いてきた。

これらのことに関して自ら多くを語ることはなく、話を聞かれても、「こういう性格だから気にしませんでしたね」と明るく返す場合が多い。

しかし、19歳当時「なぜ顔を褒められることが苦手なのか?」という質問に「どうしても外見で判断されることってある、それをどう覆していくか考えていた時期もあります。内面を磨いた方がいい」と発言している。

幼い頃、「美味しくはないがくせになる」「祖父母を驚かせたい」という理由で「蛍」を食べていた。

両親は兄には厳しかったが、ウエンツは礼儀以外に関しては放任主義で育てられた。

幼い頃、親に怒られ兄と共に家の外に締め出された時、傍にあったおもちゃで窓ガラスを割り、家に入ったため「この子はちょっとおかしい」と唖然とした親はさらに叱らなくなった。

また、小学5年生の時には、試験が嫌で教室を抜け出し逃走したことがあり、学校側から仕事先の母親の元にも連絡が行き、誘拐騒ぎになった。

小学校時代のあだ名はシタンツ(ほかに、ウエンツスターソースなど)。

野球クラブの試合でレギュラーではなかったのでベンチにいると、相手チームに「助っ人外人選手を入れている」と勘違いされ、最後の切り札かと恐れられていた。本人曰く「野球は全くできません」。

子どもの頃から馬が好きで知り合いの牧場で乗馬をしたり、競馬カードをコレクションしたり、競馬中継を熱心に見るなど真面目に競馬学校への進学を考えていた時期がある(小学校の卒業文集には「騎手になりたい」と書いている)。

高校1年生の時「痔」を発症。原因は不明で、本人曰く「5時の方向に切れている」。


ウェンツ瑛士の仕事

4歳でモデルデビュー。当時の所属事務所はSugar&Spice。

芸能活動を開始後は多くの雑誌・CMを始め、NHK教育の子供番組『天才てれびくん』『天才てれびくんワイド』に5年間に渡りレギュラー出演。

母親は俗に言うステージママではなく、1人で電車に乗り仕事に行くことも多かった。

小学4年生から5年間レギュラー出演したNHK『天才てれびくん』では、歴代の司会であるダチョウ倶楽部、キャイ〜ン、山崎邦正らと共演。

この頃のウエンツはお笑いキャラではなく二枚目キャラとして子どもと母親から人気を集めており、小学生にして出待ちがいるほどだった。

共演していた山崎邦正は当時のウエンツについて「子どもながらに(全体を)客観的に見ていた」と語っている。

『天才てれびくん』卒業後(14歳)、すぐにジャニーズ事務所からスカウトを受けるが「お笑いが好きだから」という理由で断る。

また、それまで所属していた事務所も辞め芸能界を一時引退。約1年半、普通の生活をしていた。

その後、共通の知人がいた郷ひろみがウエンツの活動を見て現在の事務所に紹介。

ウエンツ自身は芸能活動をする意思はなく断りを入れるために事務所を訪れたが、社長に「おお、入れよ」と言われ「は、はい」と即答してしまい、高校1年生(15歳)でバーニングプロダクションから芸能界に復帰。


ウェンツ瑛士と学業

高校受験の際、事務所からは堀越学園への進学を進められたが、当時は将来就職するつもりでいたため日本大学櫻丘高等学校に進学した。

受験当時学年トップ10に入る成績を取っていたため、学校推薦を受けての推薦入学である。

学校の成績は優秀な方で、高校1年の時には兄の勧めにより塾講師のアルバイトをしていたことがある。

一対一の個別授業で小中学生に教えていた。

また、現在でも映画ゲゲゲの鬼太郎の撮影期間中には、共演していた子役の内田流果や当時高校生の北乃きい(2作目で共演)に宿題等の勉強を教えていたという。

自身で考えた勉強法として、「いつ家族が起きてくるかわからない緊張感」「冬は寒くて眠れない」という理由から夜中にリビングで全裸になり勉強する「全裸勉強法」を実践していた(当時17歳『踊る!さんま御殿!!』より)。


ウェンツ瑛士とお笑い

いわゆるイケメンと見なされる容姿をしていながら、笑いのためなら尻も出すという程の芸人根性の持ち主であり、独自の路線を切り開いている。

ただしウエンツにとって「お笑い芸人」とはあくまでも尊敬の対象であり、決して「芸人になりたい」「芸人のようになれる」と思っているわけではない。

命懸けで笑いを追求する芸人達を見ていてそんなことは軽々しく言える事ではない、楽しいことは好きだが「お笑い」という言葉に変わると少し負い目を感じる、と語っている。

お笑い芸人の山崎邦正と師弟関係にある。NHK『天才てれびくん』での共演がきっかけで知り合い、多大な影響を受けその当時からずっと慕い続けている。

本人曰く、「師匠がいなければ今の俺はいない」とのことで、ほぼ毎年隅田川の花火大会を一緒に見ている。

師匠からの教えは『困ったら大声を出せ』『つまったら歌を歌え』など。

しかし、ウエンツにとって師匠は「神様的存在」であるため、直接教えを請うのは今田耕司、宮迫博之、品川祐などの「お笑いの先生」である。

子どもの頃は特にお笑い好きというわけではなく、テレビもそれほど見ていなかった。

バラエティでのトークを貪欲に勉強しはじめたきっかけは、16歳の時新人俳優として初出演した『踊る!さんま御殿!!』である。

番組中思うように発言することができなかったことに強烈な悔しさとショックを感じ、落ち込むウエンツを慰めるためにマネージャーがリンガーハットでちゃんぽんを食べさせたところ、全て吐いてしまった程だったという(以来それがトラウマとなりちゃんぽんを食べると吐いてしまうようになった)。

しかし、その悔しさをバネにそれから徐々にバラエティへの出演本数を増やしていき、翌年(17歳)には『踊る!さんま御殿!!』の常連になる。

『踊る!さんま御殿!!』についてさんまは「あいつは毎回ちゃんとネタ用意してくるから偉い。」と発言。

また、高校時代に番組で共演していたネプチューンの名倉潤はウエンツを評して「昔は緊張で固まり番組中一言も話せなかった、それが今(19歳)ではあの活躍。あいつは相当な努力をしてきているはず」と語っている。

一方で、ネガティブさ故に自分の発言についていちいち反省し過ぎるところがあり、相談をする先輩らからたまに怒られる。

現在ではバラエティで活躍する若い男性タレントは珍しくないが、ウエンツが活躍し始めた当初はえなりかずきとウエンツしかおらず、非常に稀有な存在であった。

ウエンツの笑いに対する貪欲さと勉強量は半端なものではなく、その熱心さについては明石家さんま・関根勤・今田耕司などの芸人らからも評価されている。

また関根は「ウエンツをライバル視している」と度々発言しており、「ボケが速い」「心意気が怖い」「あいつには脅威すら感じる」と語っている。

高校卒業以降には年間100本以上のバラエティ番組に出演。パンツ一丁でクワガタに鼻と乳首を挟まれるなど、身体を張った芸にも力を入れだす。

成人以降は『あいのり』のレギュラー司会に抜擢、徐々に特番などの司会にも挑戦し始めており、笑いへの(バラエティ番組への)貪欲さが薄れる気配は全く無い。

2008年、フジテレビの報道番組『サキヨミ(サキヨミLIVE)』のレギュラーに抜擢。

また、次世代のお笑い芸人発掘を目的とした番組『新しい波16』で初の単独司会を務める。

翌年2009年、『サプライズ』では初のゴールデンタイム・生放送の司会を務める。


俳優としてのイケメンウェンツ瑛士

9歳の時、劇団四季のミュージカル『美女と野獣』のチップ役で役者デビュー。

記念すべき初演のメンバーであり、ミュージカルでは日本初の国内2都市同時ロングランを実現し半年間公演した。

また、現在でも劇団四季が好きでほとんどの公演を観ている。

16歳の時、NHK大河ドラマ『利家とまつ』に森蘭丸役で出演。

大河ドラマの重要な役に無名の新人が抜擢されるのは異例のことだが、「正確な日本語を使い、凛とした美しさがある」という理由で抜擢。

出演シーンは少ないものの歴代の蘭丸の中でも人気は高い。

撮影の際は黒のカラーコンタクトを着用し、濃い目のドーランで白い肌を隠した。

しかし、この頃既に俳優としてはハーフ特有の顔立ちのせいで役どころが制限され、役者としてやっていくことに限界を感じていた。

人気特撮ヒーロー「仮面ライダー」になりたくて2度オーディションを受けたが、2度とも落選。

しかし、2005年公開の劇場版『仮面ライダー THE FIRST』で念願の出演を果たす。

非常に重要な役であるがやはりライダーではない。

また同年には愛の劇場『正しい恋愛のススメ』でドラマ初主演。男性とのキス、母親ほどの熟女とのラブシーンなどで俳優として一回り成長する。


2006年公開の小池徹平主演映画『ラブ★コン』に1カットのみ出演し、チアガールに紛れて乙女メイクに全身ピンクで登場。エンディングロールでは「ウエンツ瑛士(ドゲザ出演)」と表示される。

2007年公開の映画『キャプテントキオ』で映画初主演(21歳)。

2007年公開の実写映画『ゲゲゲの鬼太郎』で主役の鬼太郎役に抜擢される。

また、翌年2008年には2作目となる『ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌』が公開。原作者である水木しげるから、鬼太郎役について「77点」と採点された。

水木しげるは何事も80点満点で採点するため、たいへんな高得点である。ちなみに3点減点された理由は「格好良すぎるから」。

2008年、『ゲゲゲの鬼太郎』で第31回『日本アカデミー賞』新人俳優賞受賞。

2009年、蜷川幸雄演出の舞台『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』に出演。蜷川からの指名で出演が実現した。


モデルとしてのイケメンウェンツ瑛士

4歳の時、幼稚園の友達の誘いでモデルデビュー。

天使系美少年と呼ばれ活躍し、多くの雑誌や「ティンカーベル子供服」「森の水だより」などの有名CMをはじめ、LUNA SEAの「IN SILENCE」などのPVにも出演。

14歳の時出演した、清涼飲料水「森の水だより」のCM『森の水だより〜美少年編』で注目され、テレビ・雑誌等で取り上げられる。

このオーディションは上海、香港、北京、日本で行われ、多くの候補者達の中から「瞳が印象的」という理由で選出された。

高校生で身長の伸びが止まったため、以降モデルとしての活動はしていない。

2006年(20歳)、声優を務めたアニメ映画『ブレイブストーリー』のPRでカンヌ国際映画祭を訪問。

そこで出席したパーティの帰り際、ヨーロッパ随一と言われるフランスの高級ファッション誌『Jalouse(ジャルーズ)』の元編集長アレキサンドラ・セネスにスカウトされる。

発売された同誌には、海外では無名の存在にも関わらず、4ページにわたり掲載された。


イケメンウェンツ瑛士と音楽

シンガーソングライター・デュオ「WaT」として小池徹平と音楽活動をしている。

2002年に代々木公園近辺で路上ライブを始め、2003年12月、当初0人だった観客が1000人を越え路上ライブを休止。

2004年、「WaT」(Wentz and Teppeiの略)として、シングル「卒業TIME」でインディーズデビューする。

2005年11月、メジャーデビュー。デビューシングル「僕のキモチ」はオリコンランキングで初登場2位を獲得。

同年の『第56回NHK紅白歌合戦』にメジャーデビューから史上最短で初出場を果たす。

担当する楽器は、ギター、ベース、キーボード・ピアノ、タンバリンなど。

7歳からピアノを(しかしすぐに辞め再開するまではキーボードを愛用)、10歳からベースを弾き始める。

路上ライブでは主にアコースティック・ベースとキーボードを担当していた。ギターは17歳頃から始める。

作曲はピアノで、作詞は主にトイレですることが多い。

アルバム「卒業TIME〜僕らのはじまり〜」収録の『オトナシ』などはトイレで一気に書き上げた。

「Mr.Children」「THE YELLOW MONKEY」の大ファンで、吉井和哉を崇拝している。

高校の学園祭では友人らと組んだバンドで『バラ色の日々』をカバー。またWaTメジャーデビュー以前にはライブで『SO YOUNG』をカバーしたことがある。

ロックバンド系の音楽が好きで、十代の頃などはよくライブハウスにも通っていたらしく、ラジオ番組レコメン!のパーソナリティであるK太郎が「毎週のようにライブハウスで見かけていた」と語っている。

ウエンツ瑛士&ガチャピン&ムックで、レギュラー出演していた「ポンキッキ」のコーナーソング、『ラッキーでハッピー』を子ども達と共に歌い踊る。振り付けはラッキィ池田が担当した。

2007年4月25日、自身が主役を勤める映画「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌『Awaking Emotion 8/5』でソロデビュー。オリコンランキングで初登場4位を獲得。


イケメンウェンツ瑛士の交友関係

ウエンツが友人として挙げる芸能人の多くはウエンツより一回り以上年上で、ほとんどがお笑い芸人である。

特に親交の深い芸能人としては、爆笑問題田中裕二で一緒に野球観戦や田中のトークショーなどに足繁く通っている。

他には、今田耕司、山崎邦正、大泉洋、品川祐(品川庄司)、末高斗夢、ザ・たっち、小倉智昭、二宮和也、小沢一敬(スピードワゴン)、藤本敏史(FUJIWARA)、小島よしおなどを挙げている。

また、ボストン・レッドソックスの松坂大輔やプロゴルファーの宮里藍とはメール交換をする仲である。

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