上地雄輔のイケメン画像
本名:上地 雄輔
別名:遊助、神児遊助
生年月日:1979年4月18日
出生地: 神奈川県横須賀市
身長:179.5cm
体重:70kg
血液型:O
職業:俳優・タレント・歌手・シンガーソングライター
活動期間:1999年〜
活動内容:ドラマ・バラエティ
家族:父・上地克明(横須賀市議会議員)
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上地 雄輔(かみじゆうすけ)は、日本の俳優、タレント、歌手、シンガーソングライター。
歌手グループ「羞恥心」の「心」・アラジンのメンバー。神奈川県横須賀市浦賀出身。
イケメン上地雄輔の経歴
1979年4月18日、神奈川県横須賀市で長男として誕生。6歳から野球を始める。
1995年、高校野球の強豪高である横浜高等学校に進学し硬式野球部に所属。捕手を務め松坂大輔らと甲子園出場を目指した。
複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたが、芸能界のスカウトを受け俳優としての道を志す。
1999年にTBS系の連続ドラマ『L×I×V×E』でデビュー。その後は端役で数々のドラマや映画に出演する。
2007年6月、『クイズ!ヘキサゴンII』に『スリルな夜 子育ての天才』(2007年)の番組宣伝で出演した際、ゲスト初の予選最下位となり、さらに珍解答を連発。これを機にレギュラー解答者となった。また、2007年8月には、同時期に出演していたつるの剛士・野久保直樹とともに「羞恥心」を結成し、2008年4月に歌手デビューを果たした。
2008年、自身のオフィシャルブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネスブックに認定された。
『セレブと貧乏太郎』(フジテレビ系)にて上戸彩と共に自身初の主演を務め、同時期放送の『スクラップ・ティーチャー〜教師再生〜』(日本テレビ系)では準主役での出演を果たした。
2009年9月、神児遊助としてドラマ『神児遊助のげんきのでる恋』(Bee TVで9月1日より配信)の企画・原案に初挑戦する。 同年12月、紅白歌合戦にソロで初出場。
2010年7月スタートのドラマ『逃亡弁護士』(フジテレビ、関西テレビ系)で連続ドラマ単独初主演を果たす。
イケメン上地雄輔の受賞履歴
松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ:MVP
ギネス世界記録:「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)として認定
FNS5000番組10万人総出演 がんばった大賞:2008年秋MVP
オリコン:「2008年の顔だと思う男性有名人」一位
BLOG of the year 2007 特別賞
BLOG of the year 2008 男性タレント・俳優部門
第50回日本レコード大賞 特別賞(羞恥心として)
ベストヒット歌謡祭2009 最優秀新人賞
第42回日本有線大賞優秀賞
Billboard JAPAN New Artist of the Year 2009 最優秀新人賞
イケメン上地雄輔の性格・キャラクター
俳優仲間の小栗旬や高岡蒼甫らと野球チーム「上腕二頭筋」を結成している。
EXILEのパフォーマーであるKENCHIとTETSUYAと親交があり、特にKENCHIは幼少期からの親友である。
関ジャニ∞の横山裕、生田斗真とは、ドラマで共演して以来交友がある。
横浜高校時代は入学当初は先輩に敬語を使う勝手がわからず、ため口で話していたが、なぜか先輩たちからは目をつけられることはなかったそうだ。
それはある先輩が「上地のことをあまり怒らないでやってくれ、あいつに悪気はないんだよ。ただ敬語の使い方を知らないだけなんだ。」と上地のことを理解し庇ってくれていたからである。
また上地が高校2年のとき、明石家さんまが横浜高校野球部にジュースの差し入れをした際、1人で直接礼を言いにいった上地に対し、さんまが「おまえ面白いから芸能界入れ」と薦めた。
この出来事は上地の芸能界入りのちょっとしたきっかけとなったものの、これが直接の動機であったわけではない。
小泉孝太郎とは昔なじみで、デビュー前からの友人である。
ドラマ『狂った果実2002』で初共演を果たし、2007年秋から小泉がメインMCを務める『孝太郎Wキッチン』ではレギュラーアシスタントとして起用され、後番組の『孝太郎が行く2』でも共演。
上地は小泉に対して「男として本当に尊敬している」と公言。小泉は「雄輔には全部ぶつける」と語っている。
また、『うたばん』の鑑定コーナーに出演した際に小泉純一郎元総理から直筆サイン入りの食事メニューをもらったことが明らかになった(鑑定価格は15万円)。
『あっぱれ!!さんま新教授』で「履歴書に書く事を増やす為に資格を取りたい」という事で、番組内で2種類の検定試験に挑戦し、ほら吹き検定(2009年5月24日放送分)とスポーツ吹矢2級認定試験を取っている。
料理好きであるが、得意料理は「カップラーメン」だと言う。フライパンを焦がしたり、燃やしたりすることもあるので火を使った料理は得意ではないらしい。
2010年12月24日放送の『アナザースカイ』の企画でスウェーデンに行き、本物のサンタクロースと出会った。
そして、黄色いサンタで史上初めて、アジアで2人目の世界の公認サンタになった。
父は横須賀市議会議員の上地克明(無所属・昭和62年初当選・現在6期目)。母は元客室乗務員。
イケメン上地雄輔と野球
1985年(当時6歳)に阪神タイガースが優勝したのを見て感動し、自らも野球をやることを決意した。
少年時代の夢はプロ野球選手だった。
1991年(小学生時代)、1994年(中学生時代)と、全日本選抜メンバーとして世界大会に出場。
小学生時代はキャプテンとしてチームをまとめ、4番を張る。
中学時代は軟式野球クラブチームの横須賀スターズでキャプテンを務め、中学三年生の年、所属チームは全国大会出場、関東大会優勝を果たした。
横須賀スターズでの練習、試合、自主練習などに専念するべく、中学では理科部に所属した。
中学時代に計38校からスカウトを受け、私立横浜高等学校に進学。
当初は、常総の監督である木内幸男の下で野球がしたいと思い、常総学院高校に進学しようと決めていたが、中学3年の夏に丹波慎也の投球を見て「この人の球を受けて見たい」と思い進路を変更した。
在学時は硬式野球部に所属し捕手を務め、悲劇のエース・丹波慎也とバッテリーを組んでいた。
1年後輩には松坂大輔がおり、松坂が入部すると最初にバッテリーを組んだ。
2年生から背番号2を背負ったが、2年夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため正捕手の座を1年後輩の小山良男に譲った。(関東大会では、背番号2を背負っている。)
2008年1月19日に行われた松坂軍団対茨城ゴールデンゴールズ(横浜スタジアム)では松坂チーム・SAMURAIとして途中出場。
打撃では最初の打席でツーランホームランを放ち、その後決勝犠飛を放って3打点の活躍をあげた。守備では11年ぶりに松坂とバッテリーを組んだ。
試合は松坂軍団が7対5で勝利し、上地はMVPに選ばれた。
イケメン上地雄輔とヘキサゴン
初出演は2007年6月27日放送分。同局『スリルな夜・子育ての天才』の撮影時にスタッフに普段の面白さを見初められ、番組宣伝もかねての出演であった。
この回の予選ペーパーテストで、初出演にして最下位となった。
またクイズ本編では珍解答を連発したり前の問題の答え「フランクフルト」が頭に残り、ヘキサゴンコールの際にフランクフルトの「フランク…」と言いかけてしまい、それが原因でつるのと揉める等、司会の島田紳助から「メジャー級のアホ」と評された。
その後すぐに準レギュラーとなり、里田まい、つるの剛士、木下優樹菜、スザンヌ、野久保直樹と共に「ヘキサゴンおバカ6人組」と呼ばれるようになり「おバカキャラ」としてバラエティ番組への出演が増えるようになる。
俳優業での活躍を広げた現在も、レギュラー解答者としてほぼ途切れる事なく出演を続けている。
2007年9月頃から出演回の最下位をほぼ独占しており、最下位常連となる。特に2007年の9月5日の放送分では2点という低成績になり最下位となる。
またクイズ本編でもなかなか答えられず「行列早抜け!リレークイズ」では優勝チームが決まった後も彼のためだけにクイズを続ける事もしばしあった。
里田の記録を抜き最下位総数のトップ(26回)となるが、2008年下半期頃からは自身の点数の向上や新たな下位常連者の出演により以前に比べると圧倒的に最下位になる事が減り、2009年に最下位となったのは1月7日・3月18日・5月13日放送分のみに留まっている。
2008年7月26日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内でのスペシャル放送分では明石家さんま率いる「パーでんねん軍団」の予選ペーパーテストの成績が悪かった影響で12位と初の中位入りを果たした。
そして、2009年1月14日放送分では13位と下位だったが初の20点台を獲得した。
その後は中位に入る事も多くなり、2010年7月14日放送分では自身の最高点数である26点という高得点を取り、その際の順位も6位を記録し初の上位入りを果たして最高順位を記録する。
2010年に入ってからはタイトルバックで隣に座ってるメンバーを連れ出して走り出す事がお決まりになっていたが、高校生チーム制の導入後はあまり見られなくなっている。
番組内では共演機会の多いつるの、野久保と共に「イケメンおバカ三銃士」の愛称で呼ばれる。
その後、2007年8月1日放送分の「アナウンスクイズ」で、上地が羞恥心を「さじしん」と読み、正解を教えられても理解できなかったことから、その日から3人のユニット名は「羞恥心」となった。
羞恥心の「心」と呼ばれるようになったのは番組内で羞恥心が誕生した直後。
紳助が「お前ら三人(つるの、野久保、上地)は羞恥心や」と言い、つるのがスザンヌから「羞」と囃し立てられた事から、上地に向かい「心」と言ったことが始まりで、2008年3月5日放送分でデビュー曲「羞恥心」を披露した。
羞恥心活動休止後は「遊助」としての音楽活動に専念しており、新たなユニットには参加していないが、ヘキサゴンオールスターズには参加している。
2010年7月24日・7月25日の『FNS26時間テレビ』の中で放送した「ペケポン川柳バトル」では、何と4つの川柳を正解させるおバカとは思えない超快進撃を続け、特に2問目と時間の都合上で最終問題となった問題では、両方共に一発で全て5つのマスを開け、ヘキサゴンチームを大逆転勝利に導いた。
「ヘキサゴンファミリー24時間駅伝」では、第10区のセミアンカー区間を担当したが、24kmという長距離区間を走りながらも、最後の1kmはカメラマンも追い付けない位のスパート振りを発揮。
スタジオにいた紳助やヘキサゴンファミリーを初め、監督・解説の千葉真子、更には実況の中村光宏アナをも驚かせていた。
遊助(ゆうすけ)は、上地が歌手として活動する時に使われるアーティスト名。ディスコグラフィーは、下記のCDのソロ「遊助」名義に記載する。
また、遊助のジャケットやグッズに書かれている「遊助」のロゴは、書道家の武田双雲が書いている。
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